「 FOR A NEW DAY / 高田ひろ子 」
高田ひろ子(p), 安ヵ川大樹(b), 橋本学(ds)
「煌めきのピアノ。綴られる八編の物語。」
誰もが耳を奪われる、旋律。
平易な表現を越えつつも、凛としたピアニズムは聴き手と共に広がってゆく。
三位一体のインプロヴィゼーションさえ空を見るように、ただ触れてほしい1枚。
DMCD-01 税抜2381円+税
試聴音源
1. Kaori ♪
2. 青紫陽花[Ajisai] ♪
3. All The Things You Are ♪
4. Blue Or Red ♪
5. Last Snow ♪
6. The Nearness Of You ♪
7. All Of You ♪
8. For A New Day ♪
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Member Profile
Hiroko Takada
高田ひろ子は5歳からピアノを学び、中学の頃からクラシックと並行してフュージョン系ミュージックに興味を持ちはじめた。大阪芸術大学在学中からライブ活動を開始し、81年上京。 ジャズの基礎を高瀬アキに、また現代音楽奏法と作曲法を平尾はるな、松平頼暁に学んだ。 以後、ジャズはもとより、現代音楽や民族音楽の分野にも積極的にコミット。 現在は自己のトリオやカルテット以外に、澄淳子(vo)、藤本隆文(vib)とのコラボレーションやソロでも活躍中。
(高田ひろ子 オフィシャルWebサイト)
Daiki Yasukagawa
安ヵ川大樹は1967年、兵庫県出身。幼少期からピアノを学び、大学でビックバンドに入部したのを機にベースに転向した。1991年にプロ活動を開始。以後数多くのセッションに抜擢され、現在まで参加したアルバムは優に100枚を超える。
(安ヵ川大樹 オフィシャルWebサイト)
Manabu Hashimoto
橋本学は1976年、兵庫県出身。幼少期はヴァイオリンを学ぶが、中学の吹奏楽部でパーカッションをはじめる。大学入学と同時にジャズをはじめ、卒業後数々のコンテストで賞を受賞。現在に至るまで数多くのレコーディングやバンドに参加している。 2005年には自身のトリオを結成。
また2006年からは北山弘一との2ドラム・ユニットでの活動もおこなっている。
(橋本学 オフィシャルWebサイト)
Liner Noteより
CD 「For A New Day」のMIXINGについて 高田ひろ子
Recording&Mixingのエンジニアは、横浜ランドマークスタジオの佐藤宏章氏。
安ヵ川氏から、スタジオ・エンジニアとも推薦を受け、決めた。
「音」に関して、前回の録音でも安ヵ川氏は付き合ってくれているし、
彼の考えや好みなどが、私と近いことも分かっているので、
全面的に信頼して、佐藤氏にお願いすることにした。
エンジニアは音楽家と同じように、音楽的でなければならないと思うが、立場は違う。
音楽家の目指す音楽を理解し、それを完成させるために一緒に力を合わせてくれる人でなければならない。音楽家もそれぞれのエンジニアの個性を理解し、
どの人に頼むか見極める。その後は、共同作業だ。
演奏家は、日々、自分の良い音を出すために研鑽を積む。
ピアニストは紙一重のタッチやハンマーのほんの少しの硬さ、
ベーシストは弦の種類や、弦高・ブリッジの位置などの微調整、
ドラマーはチューニング、皮の種類・厚さなどにあれこれ悩み、
奏法などのテクニック的なことと共に、それぞれの良いと思う音を常に追い求め、
精進している。なので、録音された音が、自分自身が出した音と、かけ離れているのは、非常に気持ちが悪く、いたたまれないことなのである。
一方、聴き手の位置に立って、決して聴くことが出来ない、というジレンマがある。
しかし、マッハ2で瞬間移動できない限りは叶わぬ夢だ。
もちろん空間を伝わる音をイメージし、遠くまで響け!とばかりに弾くし、
飛んでいく音の後姿を見、どこかに跳ね返って来た音を感じ、
自分の出した音の全体像を見る(正しくは想像する)。
弾いた瞬間の音というのは、自分のところに来た音が全てだ。
だから、エンジニアに、演奏家の出すここのこの音を知ってもらい、
この音に近づけようとしてくれることを望むのは、自然なことではないだろうか。
佐藤さんはそれらに答えるべく忙しく動いてくださった。
また、今回、佐藤さんにはご面倒をかけたが、音色の修正をすれば
いちいちCDRに焼いてもらって、家に持って帰り、いつも聴いているシステムで聴いた。
スタジオのモニタースピーカーと言うのが、あまり好きでない。
やたら大きく、音に現実味がなかったり、小さくて無味乾燥過ぎたり。
また部屋も響きのない、不自然な情況だ。普段色々聞いていて、
美しい録音だと思うもの、たとえば、前回の録音でも理想的な音のサンプルとして、
繰り返し聴いた、Marcolm Bruff(p)の「The Preacher」と聴き比べたりしながら、
耳がニュートラルな状態にあるようにして自宅で聴き、修正をお願いし、まとめて行った。
MarcolmのCDはかの有名な、オスロのECM「レインボースタジオ」での録音。
ベースは友人のスイス人ベーシストBaenzだ。彼らはこの録音について
話してくれたことがある。サウンドチェックをしている間にほとんど完璧に
バランスは取られていて、コンソールルームで1度だけチェックしただけで、
万事OKだったそうだ。
Marcolmはヘッドホーンから流れる自分のピアノの音の美しさに、
なんの違和感もないままに、ただただ気持ちよく演奏し続けたということだ。
その空気感はすごい!実際にスタジオは美しい森の中にあるそうで、
その空気や静けさをも表現できているのかもしれない。
MASTERINGは、私のカルテットのサックスのAndy Bevanに頼むことにした。
彼も安ヵ川氏と同様、長年一緒に演奏している仲間である。
サックスは彼独特のやわらかいサウンドを持つ。
彼のサウンドセンスは抜群で、ミックスやマスターリングも以前からやってはいたが、
今は、本格的に仕事のひとつとしている。
彼も私と同じように、目に見えないけど確かにある大事な空気感、
クリアーでいて暖かな音、且つ、生き生きと生々しい感じ・・というのが目指すところ。
中音域で「もごもご」と固まったような、動きのない音は、彼も私も嫌だ。
広がりがあり、しかもリアル。実際の生の演奏のよさは、それではないか。
実際には、CDにすること自体、ある程度響きを押さえた部屋でマイクを通して、
デジタル機器に録音するわけだから、「生」を再現することは不可能だ。
が、その中で、Andyはあっという間に広がりを与え、空気をもたらした。
2人のエンジニアの、感性と技に感謝する。(おふたりとも「プロトゥールズ」を使用。)
(でも私の理想は、本当はデジタルを通さないことだなあ。どれだけやせるか、身にしみて知っている。 なんだか明言できないけど、確実に大事なものをそぎ落とされる感じ。
それを補う技を、お二人はお持ちだが。)
高田ひろ子
ライナーノーツ
すでに3枚のリーダー作をリリースし、ライブ活動もコンスタントにおこなっているにもかかわらず、高田ひろ子の名は、ジャズ・ファン、ジャズ・ジャーナリズムのあいだに広く浸透しているとはけっしていいがたい。告白すると僕自身このライナーを引き受けるまでは――もちろん彼女の名は知っていたけれど――アルバムすべてを聴き、ライブをフォローするような熱心な聴き手ではなかった。この事情はおそらく――何かのきっかけでその音楽を意識的に耳にした者以外――多くの評論家やライター、ジャズ関係者についてもあまり変わらないだろう。「知る人ぞ知る」…高田ひろ子とは、つまりそういう存在だったのである。
だがその一方で、「何かのきっかけでその音楽を意識的に耳にした者」たち(そこには彼女と共演したミュージシャンも含まれる)は、例外なくその才能、音楽性を絶賛する。「知る人ぞ知る存在」が多くの場合「本物」である例にもれず、高田ひろ子の才能も本物なのである。そんな彼女が、その音楽をより多くのファンに知らしめるべくリリースした新作が、この『フォー・ア・ニュー・デイ』だ。
*
聴いて、まず僕が驚いたのは、凛としたピアニズムの鮮烈さ。昨今、タッチの妙で勝負するピアニストは少なくないが、高田ひろ子のそれはトップ・クラスに数えられる、というよりもむしろ、別の次元に属するといってよいものではないか。音が美しいのはいうまでもない。ただその美しさは表面的なものではなく、弾き手の意志を反映したような重さ、強さを有している。もっというと、ソノリティが、リズムとか音高、あるいは音強といったものと同等の、音楽を形作る根本的な要素になっているように感じられるのだ。
こう書くと、「プロの演奏家なら、そんなの当たり前だろう」という人もいるかもしれないが、「どの音を弾くか、どんなフレイズを作るか」ということがさしあたっての最重要項目となるジャズにおいて、このことの実現は、そうそう容易なことではない。曖昧なところが一切なく、音の一つひとつが呼吸し、雄弁にものをいうような、こんなピアニズムを持った人というと、僕は現代のJジャズ・シーンでは小曽根真以外すぐには思い出すことはできない。
で、そういうピアニズムでもって、高田ひろ子はどんな音楽をやるか。
ブルース・フィーリングが希薄で、そのかわりに叙情的な旋律性が前面でアピールされているという点において、この人の音楽を、近年のジャズ・シーンで一つの大きな潮流となっている欧州系のスタイルとして捉えるファンも、あるいはいるかもしれない。僕も最初に聴いた時は「この人の視線はアメリカよりもヨーロッパのほうに向いているのかな」と感じた。
だがその一方で、それだけでは説明しきれない引っ掛かり、「本当にそうなのか?」と耳元でささやきかけるもう一人の自分がいたのも事実。その声に導かれて、何度も繰り返し聴くうちに思い至ったのが、この人の音楽は欧州的というよりも、むしろ「日本的」と呼ぶほうがふさわしいのではないか、ということだった。日本的といっても、演歌っぽいとか民謡っぽいとか、そういう意味ではもちろんない。音楽のありようはまぎれもなく西洋のそれなのだけれど、そのわずかなすき間から滲み出してくる表現が、どうしようもなく日本的な感性を感じさせる――別のいい方をすれば、日本人である僕(そしてそれはつまり日本人であるあなた)の心の琴線にフィットするのだ。それが――おそらくは――無意識の所産であるという点において高田ひろ子の音楽は、ことさらに日本人であることを強調したような演奏よりもずっと日本を感じさせるし、だからこそインターナショナルな視点から見た場合に価値のあるもの――つまり真の意味で「国際的」なジャズになっている、という気がするのである。
ならば僕は、彼女の音楽のどこに日本的なるものを感じるのか。それを具体的に言葉にするのはとてもむずかしい。ただ、楽曲の内実は非常に高度かつ複雑な理論に支えられた作りをしていながら、旋律が絶対に平易さ・親しみやすさを手放さないところ(これを読んでいるあなたがもし楽器の心得がある方なら、試しに1曲目のオリジナル曲〈KAORI〉をコピーしてみるといい。目まぐるしい転調を伴ったコード進行が、それを感じさせない自然さで連結されていることにきっと驚くはずだ)、そしてその旋律の扱い方に細かい神経が行き届いているところ、そうして生み出される音楽が得もいわれぬ潤いに満ちているところ――そんなところは西洋のミュージシャンがやる音楽には見出しにくいものではないだろうか。
ただ、だからといって高田ひろ子は、そんな、溢れ出さんばかりの情感に支配された音楽だけをやるわけではない。それは〈オール・ザ・シングズ・ユー・アー〉と〈オール・オブ・ユー〉という2曲のスタンダードを聴けばわかる。これらの曲における彼女は、オリジナルとはうって変わって、安易な歌の表出に背を向けた、静かなるラディカリズムとでも表したいような音の連なりをきかせる。まるで、常套に堕した方法論で即興するなど真っ平御免といわんばかりに。この人は、高瀬アキにジャズの基本を学んだあと、平尾はるな、松平頼暁に現代音楽奏法と作曲法を師事したという、ある意味尖鋭的といってもいいバックグランドの持ち主だが、ここにはその経験の中で育まれたであろう”独創性”を希求する彼女の音楽観があらわれているように感じられる(尤も、もう1曲のスタンダード〈ニアネス・オブ・ユー〉では高田ひろ子は、これ以上はないというくらいたっぷりと歌い込んでみせる。これは彼女の独創性が、近年よく見かける「差異化のための差異化」を求める似非アーティストのそれとは根本的に異なる、ジャズ演奏の基礎をしっかりと習得し現場で鍛え上げられた上にあることの証左となるだろう)。オリジナル曲に見られる素晴らしい作曲力/旋律力と、スタンダードにおける斬新な即興の共存…と書くと、作為的な印象を持たれてしまいそうだが、そういうものがごく自然な風情で、何の齟齬もない音楽として成り立っているところこそが、高田ひろ子の音楽の”凄み”なのだと思う。
それにしても――繰り返しになるが――なんと豊かで深い才能だろう。これほどの才能を見過ごしていたとは、ジャズについての文章を書く者として、まったく汗顔の至りである。と同時に、僕はまた幸福でもある。なぜなら――ゲーテの言葉を借りるならば――これから先、この人の音楽を追いかけていける楽しみが待っているのだから。そしてそれは、今このCDを手にしているあなたにもいえることだ。
*
最後にレーベルについても少しだけ触れておきたい。
このレーベル「D-MUSICA」は、本作にも参加しているベーシスト、安ヵ川大樹が立ち上げた新レーベルである。ご承知のようにこの人は、現代のJジャズ・シーンにおいてもっともコールの多いベーシストの一人であるが、その一方で自身のリーダー作ではソロ・ベースから九重奏まで、斬新と呼んでもおおげさではない試みを続ける、きわめて貪欲な表現意欲を持った音楽家である。
おそらくはそういう意識の高さゆえ、そして長年にわたる豊富な活動経験ゆえ、彼は現代のジャズのありように対して、いつしかある種の使命感のようなものを感じるようになったのではないか。
「現代のジャズ・マーケットというのは、何かしらのフックがないとなかなかCDをリリースしてもらえないんです。そのやり方を否定はしませんが、一方で、音楽は素晴らしいのに埋もれてしまっているミュージシャンが大勢いるのも事実。そういう人たちが、夢を持って自分の音楽を発信できる場が必要なのではないかと考えたのが、レーベル設立のきっかけです」(安ヵ川)
加えて彼は、このレーベルから、自主制作が陥りがちな独り善がりのものではない、より多くの聴き手に共感してもらえるような作品を発信していきたいともいう。そんな「D-MUSICA」のポリシーを、夢を、この高田ひろ子の作品はまさに象徴しているように僕には思える。
(2009年1月29日 藤本史昭)
Design
北川正 (Kitagawa Design Office)